あいつと結婚するつもりなのか? 


「あ、あんた、何言ってんの?」
「答えろ!!」
「きゃあ!」

そう、あの時もそうだった。
こいつの耳に私の言葉なんて届いていない。
こいつの頭の中は怒りでいっぱいで...後で気付いた、それは花沢類に対する嫉妬だったと。
でも、今のこいつの怒りが何なのか.....それが全然分からない。

「結婚って....結婚するのはあんたでしょう?」
「なに?!」
「だから、なに怒ってるか知らないけど、あんたが結婚するんでしょう?ああ、おめでとうって言って欲しいわけ?」
「何の話だ?」
「楓社長の帰国も結婚に向けての準備ためだって、それに美咲さんはマンションを探してたし、支社長就任で将来の基盤もできた、良かったじゃない順調で。」
「てめぇ、本気で言ってんのか?!」
「本気も嘘もない、私はもうあんたとは関係ない人間なんだから。」
「ふざけんな!!」
「ふざけてるのはあんたでしょう!こんなことして何の意味があるの?!」
「おまえ....本心か?本気で俺が他の女と結婚してもいいと思ってんのか?」
「ええ....」

だめ...泣いちゃだめ、こいつに泣き顔なんて見せちゃダメ...何も持ってない私だけど、女としてのプライドは捨てたくない。

こいつは心変わりした、捨てられたのは私。
何の説明もなく突然連絡を絶たれたのは私。
分かってる、心から愛し合った恋人同士でも別れることはあるよ。
でもね、私は信じられなかった、私達に限ってそれはないと思っていたから。
こんな風に現実を突きつけられた今でさえ、それでもこいつを信じたい自分が嫌。

滑稽だよね....

だから、これで終わりにする。
こいつへの気持ちは、今この瞬間から忘れる。
平気なフリじゃなくて平気になるの。
じゃないと前に進めないじゃない。
せめて、こいつの前では堂々としていたいから。

私は涙を必死に堪えて、あいつの顔を見つめた。

「もうやめよう、こんな話は....」


ガタン.....


急に身体揺れ、救いの手が差し伸べられるようにエレベーターが動き出した。


「動いた....」

ホッとしたのも束の間、壁から離れようとした私の腕を道明寺が掴み、再び壁に押し付けられる。

「なにす..?!」

突然真っ暗になった視界...気が付けば....
口が塞がれていた。
一瞬意識が飛んだ...が...

キス........?!

「んんっ....んん?!」



身体を動かそうとしたが、壁に両手をガッチリ押し付けられ身動きが取れない。
足を動かそうとしても、あいつの太腿に痛いほど挟まれている。
攻撃する相手を押さえ付ける術は死ぬほど訓練してきた。
なのに抵抗さえ出来ず、徐々に深くなってくる口づけに頭の中が真っ白になり、立っている事さえままならない。

「ど...どう...みょう...じ..やめ.......」

動けない身体の代わりに涙が頬を伝う。

なぜ...
なぜこんなことするの....?
どうして...?
どうして..?



角度を変えながら何度も唇を奪われ、やがてゆっくり唇を離したあいつの顔は、どこか切なげで苦しそうだった。
額と額がくっついた状態で、私達の息は上がっていたけど、あいつは私の耳元に顔を寄せ。

「はぁ、はぁ、はぁ.....」
「俺は謝らねぇからな。」

からかってる?
捨てた女をからかって楽しんでるわけ?
酷い、酷すぎる......


支えを失った私の身体は、そのままズルズルと床に崩れ落ちていった。




背景263





「おい、牧野!」
「.....えっ?」


名前を呼ばれ、ハッとして顔を上げれば、いつの間にかエレベーターの扉が開き、聞こえてくるのはロビーの喧騒、そして心配そうに私の顔を覗き込む田中先輩。



「エレベーターのトラブルだったらしいな、驚いたのか?」
「あ、えっと.....少しだけ。」
「まさか閉所恐怖症か?」
「え?い、いいえ、違います、ただ......ちょっと・」
「牧野、なにしてる?!さっさと来い!!」

あいつは何事もなかったように私を怒鳴りつけている。
まさか.....夢?
ううん、違う、夢じゃない......感触が残ってる......あいつの唇の感触が....まだ....


「牧野!!」
「は....はい!何でもありませんから先輩、じゃあ。」



なんとか立ち上がってはみたが、頭の中はぐるぐるで、気を抜けば転んでしまいそうだった。
倒れそうな身体を何とか支え、走り出そうとした足が再び動かなくなる。



「美咲さん..?」
「牧野さん.......」


目の前に立つ綺麗な人。
明らかに驚いた顔をしていた。
そうだろう、とっくに道明寺の傍にはいないと思っていたはずだから。


「牧野!!」
「は....はい。」


軽く会釈をし彼女の脇を走り抜けようとした時、微かに聞こえてきた声に再び体が凍り付いた。


『信じていたのに....』



それでも平気な振りをしなくちゃいけない、あいつの前では。

負けたくないから......誰に?
泣きたくないから.....なぜ?


地獄だ.......


もう放っておいて...
誰も私に構わないで.....

何も見たくない..
何も聞きたくない..
何も考えたくない..


もう、なにも.....