「相変わらず、唐突な帰国ですね。」
「あら、私の帰国に何か問題でも?」
「いいえ.....」





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テーブルを挟み向かい合って座るババァと俺。
久しぶりに顔を合わせる場所が会社とは、いかにも俺達らしい。
子供の頃からそうだ、俺達親子の間には「道明寺」という巨大企業がある。
「変わりはありませんか?」「体調はどう?」そんな相手を気遣う言葉はない。
あるのはビジネス上の言葉だけだ。


「引継ぎに問題はありませんね、日本支社長に就任したからには、今まで以上の業績を上げることを期待しているわ。」
「当然です。」
「そう、なら結構よ。」
「それより、忘れてねぇだろうな?」
「なんのことかしら?」
「惚ける気か?」

俺の機嫌を察知した西田がすかさずコーヒーを運んでくる。
そのコーヒーを口にしたババァが微かに口角を上げた。


「相変わらず、彼女は騒がしいわね。」


頭に血が上った俺は、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がっていた。


「あいつに何か言ったのか?!」
「何かとは?」
「てめぇ!」
「何ですか、日本支社代表ともあろう男が大声を上げて。」



ババアの帰国の目的は分かってる。
最終段階に向けて俺の行動を監視するためだ。
この賭けに負ければ俺の未来はない。
俺が勝てば.....俺は望むものを手に入れることが出来る。
俺達が勝てば.....



「とにかく約束の期日まで気を引き締めてかかることね。」
「ああ、てめぇも約束を忘れんじゃねぇぞ。」



俺は負けねぇ、絶対に勝つ!
だから牧野、おまえも逃げるんじゃねぇぞ!
俺が必ずお前を地獄に落とす。
二度と戻れない地獄に送り込んでやる。




背景226





「はぁぁ、緊張したな。」
「ああ、支社長もだが楓社長の存在感は半端ないからな。」
「まったくだ、おい牧野、大丈夫か?」
「え?はい、大丈夫です。」


護衛官の休息のひと時、話題に上ったのは当然、さっきの騒ぎを一瞬で納めた楓社長のことで。


「社長が帰国したってことは、あれだな。」
コーヒーを口に運ぶ田中先輩。
「あれって何ですか?」
同じくコーヒーを飲む中里先輩は首を傾げている。
私とは言えば、まだ収まらない心臓の鼓動を鎮めようと水をちびちび飲んでいた。
「だから、いよいよだって言ってんだよ。」
「何がですか、先輩焦らさないで教えてくださいよ。」
中里先輩が話し掛けているのに、なぜか田中先輩は私の顔を見てニヤニヤ笑っている。



「支社長がいよいよ結婚を発表するんだよ。」



ドックン.......


一瞬心臓が止まったかと思った。

身体が動かない.....


「ああ、なるほど、それで楓社長が、さすが先輩、鋭いですね。」
「まあな、社長と支社長、もとい道明寺親子が同じ時期に日本にいるのは稀だ。大きなプロジェクトの発表か支社長の結婚発表ぐらいだろう。」
「確かに..楓社長は殆んどニューヨーク本社で、日本には年に一二度帰国できればいいほうですからね。」
「かく言う俺もそろそろかな..」
「そろそろって....ええ?!まさか田中先輩も結婚するんですか?!」
「ばか、大声を出すな。いや考えてるってだけで、まあ俺も年貢の納め時かなっと思ってな。」
「でもそれって、結婚したい相手がいるってことですよね?」
「まあな。」

ますますにニヤけながら私の顔を見る田中先輩。


そっか、道明寺が.....
そっか......
覚悟はしてたけど、いざ聞かされるとやっぱり心臓が痛い。
早くあいつの傍を離れたい。
心臓が..心が悲鳴を上げる前に...



「先輩、まさか....牧野?!」
「え?」

急に名前を呼ばれ、私はハッとして顔を上げた。
驚いた表情で私を見ている中里先輩。


「田中先輩と牧野って、そう言う関係だったんですか?」
「へ?」

そう言う関係って.....
そういう?
何を言われているのか、さっぱり分からない。

「な、牧野、俺達も考えようぜ。」
「田中先輩?」
「ええ―――!!」

叫びながら立ち上がった中里先輩の姿を私は呆然と見上げる。


「田中先輩と牧野が...そうだったんですか、俺全く気付かなかったな。」

「あの....さっきから何の話をしてるんですか?」
「牧野、照れるなって。」
「はあ?」
田中先輩にポンポンと肩を叩かれても、一向に理解できない。

なに?
なんのこと?


「牧野、俺達もそろそろ考えようぜ、結婚を。」
「はあぁぁぁ?!」


ヒュー!ヒュー!
「いいぞ――!!」
一斉に上がる冷やかしの声。


「た、田中先輩、冗談はやめてください!」
「照れるなって。」
「照れてません!第一付き合ってもいないのに結婚なんて、からかってるんですか?!」
「おまえこそ何言ってるんだよ、俺達付き合ってるだろう?」
「い、いつ?」
「道場でチューしたじゃないか、忘れたのか?人の貞操奪っておいて、俺ショックで落ち込むぞ。」
「てい...ば、ばか言わないで下さい!!あれは先輩が急に...」


ヒュー!ヒュー!
「おめでとう――!!」
冷やかしは収まらない、私が焦れば焦るほど面白おかしく騒ぎ立ててくる。


「ちょっと...」
私が言い訳をしようとした瞬間、突然扉が開いた。









背景258






「随分楽しそうだな....」

「支社長?!」


全員が椅子から立ち上がった。
あまりの勢いに背後に転がった椅子もある。
支社長が警護官の休憩室にわざわざ足を運ぶ。
そんな稀な出来事に、その場の誰もが混乱していた。

そんな私達の様子などお構いなしに、険しい表情で入口に立っている道明寺。
明らかに機嫌が悪い。

睨まれてる気がするのは気のせい?


「.................」



楓社長と何かあったのかな、それともさっきの記者との騒ぎが耳に入った?
どっちにしても「結婚」なんて言葉を聞いた後じゃ、あいつの顔を直視なんて出来ない。


「あの、なにかご用でしょうか?」
田中先輩が意を決して口を開く。


「てめぇはすっこんでろ!」


突然の怒鳴り声。
皆の肩がビクッと震えた。


「牧野!!」
「あ、はい!」
「とっとと来い!」
「え、はい?!」


あっという間に踵を返し部屋を出て行ってしまったあいつ。
一瞬呆けていたが、私は慌てて後を追った。



あいつの背後に追い付けば、背中越しでも滅茶苦茶機嫌が悪いのが分かる
なに、なに?
どうしてこいつ怒ってんの?


「あの...西田さんは?」
足の長いあいつのストロークに付いて行くには、私は必然的に小走りだ。
助けを求めるつもりじゃないが、心細さから辺りをキョロキョロ見渡す。
だが、いつもこいつに張り付いてる敏腕秘書の姿はない。

「あの...どこに?」
「黙ってついて来い。」
「はい....」


やっぱり完全に怒りモードだ。
頭に血が上って爆発寸前。
人の目があろうとこいつには関係ない、自分の感情そのままに周りを巻き込んだ惨劇になる。


仕方がない、少し熱が冷めるのを待つか......


乗り込んだ役員専用エレベーター、私は視線の置き場所に困り、ピカピカに磨かれた床を見つめていた。



「結婚.......する気か?」
「へ?」


慌てて顔を上げる。
すると目の前にはあいつの顔があった、それも鼻先が付きそうなくらい近くに...
おまけに壁ドン?
当然後から付いて来ると思っていた先輩たちの姿はない。
エレベーターには二人っきりだ。



「え、え、え、なになに?」


誰もいないなんて考えられなかった。
護衛官もだが、西田さんは?


「なんで?」
誰もいないの?
「答えろよ、あいつと結婚する気なのか?!」


ドン!!


「きゃあ!」
「答えろ!!」


「ど...ど、どうみょうじ.....どうしたの?」


壁と道明寺に挟まれ身動きが取れない。


『どうかしましたか?』


エレベーターの緊急停止ボタンを押したのだろう。
張り詰めた空気の中に流れる、無機質なアナウンスの声。


『聞こえてますか?何がありました?』
「うるせえ!だまってろ!!」
『ひっ?!』

怒鳴られただけで黙るなと整備会社に文句を言いたいが、こいつの迫力は常人じゃない。
英徳で経験済みだが、久しぶりに聞くと流石に怖い....
それに....
こいつのこの顔..
覚えてる、英徳で.......こいつに襲いかかられた時と同じ.....
獣が獲物に襲いかかるような......血走った目.....


「道明寺......」


あの時の記憶が蘇り、背中に冷たい汗が流れた。