都心の静かな割烹料理店。
その奥まった座敷、手入れの行き届いた和風庭園を背景に私達は並んで立っていた。



「道明寺君、待たせたね。」
「いいえ、長谷川会長、お久しぶりです。」
「3年振りだったか?ニューヨークでの君の活躍は東京にいても嫌というほど耳にしていたよ。」
「恐縮です。」
「ははは、おや、こちらのお嬢さんは?」


彼と握手を交わしながら男は私の顔を怪訝そうに見つめていた。
上等なスーツから迫出した腹の存在感が半端ない男は、電気機メーカーの会社を経営する長谷川コーポレーションの会長、田中先輩の言う狸爺だ。


「秘書の牧野と申します。」


私は礼儀正しく深々と頭を下げた。


「君に女性秘書がいるとは聞いていなかったが?」


好意的ではない視線がチクチクと肌を刺す。
それも一つじゃない。
私はゆっくり顔を上げ、正面で自分を睨む女性に視線を向けた。


「まあいい、ちょうど娘も留学先から帰国していてね、せっかくの機会だから君に紹介したいと連れて来たところだ、構わないだろう?」
「はい。」


道明寺が長谷川会長のお嬢様に視線を向けると、それまで険しい表情だった女性が、道明寺に渾身の微笑みを見せる。
この変わり身の早さは流石としか言いようがない。


「娘の百合子です、お会いできて光栄です。」
「道明氏司です。」
「司様のお噂は英徳の頃より聞き及んでおりました、今日は父に無理を言って付いて来てしまいました、ご迷惑でなければご一緒させてください。」
「こちらも秘書の牧野を同席させていただきますので。」


秘書じゃないつーの!


私は隣の道明寺をキッと睨んだ。
それは三十分ほど前。


『ほら、これに着替えろ。』
『はい?』
料亭に到着した途端、手渡された白いスーツ。
『なんで?』
『その格好じゃ場が白ける、今日は俺の秘書として同席しろ。』
『はあ?じゃあ、私は外で待ってる。』
『あの狸爺は間違いなく娘を連れてくるんだ、俺が危険な目に合ってもいいのか?』
『危険って...ただの会食じゃない.....あっ?!』
『なんだよ?』
『そっか、そうだよね....』
『そうだよねって、何ひとりで納得してんだ?』
『いや、だって美咲さんに悪いからでしょう?』
『はあ?』
『うん、分かった、婚約者がいるのに他の女性と見合いだなんて、そりゃあ後ろめたいよね?』
『見合い?だだの会食だって、お前が言ったんだろうが?!』
『はいはい、分かりました。じゃあ着替えてくるね。』
『おい、てめぇ、なに勝手に納得してんだよ!』
『もう、うるさい!あたし着替えてくるから!』
『牧野!』


はぁぁぁ~
もう溜息しか出てこない。
これのどこが見合いじゃないって?
さっきから仕事の話なんで全然してないじゃない。



「いやあ、娘の百合子は親の私が言うのもなんだが、実に気の利く...」
「もう、お父様ったら、恥ずかしいからやめて。」
「何を言う、こういう場ではもっと積極的にならんといかん。」
「そんな....」

いやいや、見合いじゃないですから......


父親の娘アピールは事前に台本でも用意していたように止まることがない。
次々運ばれてくる料理に見向きもしないで、もう必死の形相だ。
婚約者のいる男に普通ここまでする?
てか、婚約=予約?
まだ売れたわけじゃないから取り消しOKだと思ってここまで押してくるのか?
どっちにしても私には理解できない世界だ。

この男、よく黙って聞いてるよね?
チラッと隣の道明寺の顔を盗み見た。
顔は笑ってる......へぇ...こいつも大人になったじゃん。


ん?


額の青筋、凄!!
ニコニコしながら青筋って.....


「ブッ!」


慌てて口を押えたが、時すでに遅し....



カッコ―――ン.........




静まり返った室内。
ししおどしの音だけが虚しく響いた。





背景255







「おまえなぁ......」
「ごめん...なさい?」
「なんで疑問形んだよ?」
「だって.....」
「はぁ~」


吹き出した私のせいで会食の場は一気にシラケた。
それまで懸命に娘アピールをしていた長谷川会長も覚えていたセリフを忘れてしまったのか、それとも我に返り、事業そっちのけで娘を売り込んでいた恥ずかしさに居た堪れなくなったのか。
『いやぁ、この後会議があったのをすっかり忘れていてね。』
と、早々会食を切り上げて帰ってしまった。


「やっぱり見合いだったんじゃない。」
「違う、何度も言わせんな。」
「でも、どう見ても会食の場を借りた見合いにしか見えなかったんだけど...」
「相手は取引会社の会長だぞ。」
「ごめん.....」
「まったく...」
私は道明寺の顔を下から覗き込んだ。
「へぇ~」
「な、なんだよ?」
「いや、やっぱりあんた変わったよ、大人になったじゃん。昔だったら”このハゲおやじ!”って怒鳴ってたよね、きっと。」
「ば、当たり前だ!」
微かに道明寺の顔が赤くなる。
俺様のくせに照れ屋、こんなところは変わってない。
「でも.....本当にごめん、大事な取引相手なのに......」
「だな、お前のせいで仕事がやりにくくなっちまった。」
「え、うそ?!」
驚いた私は咄嗟に身を乗り出していた。
すると目の前にはあいつの顔が......
こんなに近くで見たのは三年振りかもしれない。
切れ長の目、鋭利な顎のライン、スッと綺麗なラインを描く鼻、そして綺麗な弧を描く唇。
今も昔も、なんて綺麗な男なんだろう。
おまけ頭脳明晰、ビジネスセンスは他に類を見ないほどズバ抜けている。
道明寺というバックグラウンドがなくても、この男を女性は放ってはおかない。
頂点に立つ選ばれた男。
今更ながら、よくこんな男と恋愛していたものだと、自分の世間知らずが恥ずかしくなってくる。

「冗談だ、これくらいで仕事に影響が出るような関係なら、こっちからブチ壊すさ。」
「あ.....うん。」

ホッとしたが顔が火のように熱い。
免疫切れてるせいか、至近距離でのこいつの顔は心臓を落ち着かなくさせる。

「なんだ急に大人しくなって、腹減ったか?」
「ち、違う、あんたのことを馬鹿だ馬鹿だって思ってたけど、バカなのはあたしの方だった。」
「おい!仮にも上司に向かってバカとは何だよ!」
「だから、バカだったのはあたしの方だったって言ってるじゃない!」
「なにキレてんだよ!」
「うるさい!あんたには関係ない!」
「関係ない俺に当たるな、あ、おまえ....あれか?」
「あれって何よ?」
「あれだよあれ、今日、あの日か?」
「あの日?」
一瞬何を言われたのか分からなかったが、真っ赤になった道明寺の顔を見て分かった。
「あ、あんた、何言ってんのよ?!」
「違うのか?おまえ、あれの日は妙にイラついてたじゃねぇか?」
「ば、ばか!」
顔から火が出そうなほど恥ずしい。
なんでこの男と自分の〇理の話をしなくちゃいけないのよ!

「ばかばかばか!!」
「ば、おい殴るな!」
「ばかばか、死んじゃえ!!あんぽんたん!」
「わ、分かったから殴るな!ほら、俺のもやるから食え、お前腹減ってるからイラついてんだろ。」
私のパンチをよけながら、目の前に自分の皿を寄せる道明寺。
「遠慮すんな、腹いっぱい食え。」



「あんたねぇ......」
「なんだ、足りねぇのか?追加で何かたのむか?」
私はもう一度拳を握り締めた。


「なに自分の嫌いなシイタケが入ってる料理をあたしに食べさせようとしてるのよ!」
「バレたか....」
「バレるに決まってるでしょ!」
「わ――、よせ、また殴るな!」



何だろうこの感覚。
何だろ私達の関係って。

あいつの傍にいるだけで心が満たされていく。
隙間だらけだった私の心が温もりで満たされていく。
駄目だって分かっているのに、ずっとこうしていたいと思ってしまう。


やっぱり、このままじゃいけない。
あいつの為にも美咲さんの為にも、そして私の為にも....



私は道明寺の傍にいちゃいけないんだ。